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短期集中連載 
WEB小説「スーパー編集者 鈴木聡一郎君」第一話

文=丹律章

本原稿はフィクションです。実在のものと同一の、企業名、ブランド名、地名、人名などが登場しますが、実在のものとは直接何の関係もありません。


「聡一郎、明日から身体空いてるか? 1泊2日で秋田だ」
 安田和明編集長が、パソコンから顔を上げずに叫んだ。結構な大声を出したのだが、それが目立たないくらい、部屋の中はざわついている。
 呼ばれた鈴木聡一郎は、「はーい、大丈夫でーす」とのんびりした声で答えた。
「お前、渓流、初めてだよな」
「渓流ですかあ。僕が好きなのは、京都の川床ですね」
「カワドコ? 京都にそんな釣り場あったか?」
「川と言えば、川床じゃないですか」
「カワドコ、カワドコ……もしかしてあれか? 鴨川とかの、川の流れの上に座敷を作って、飲み食いする、あれか?」
「そうですよお。鴨川は河原ですから、直接流れの上がいいなら、貴船とかがいいと思いますけど」
「そういうことを言っているんじゃない! 俺が言っているのは、渓流の釣りだ。渓流の釣りの取材だ!」
「釣りですかあ」
 聡一郎との会話はいつも調子が狂う。会話はある程度予想された範囲内で交わされるのが普通だが、あいつの返事はいつも知らぬ方向へ飛んでいき、いつしかあらぬ方向から自分の方へ向かって飛んでくる。正直疲れる。
「渓流取材だ。2日間、川を歩くことになる。ウェーダー持ってるか?」
「合うサイズがないので、特注で作ってもらったんですが、まだ受け取っていないんです。これから取りに行ってきてもいいですか?」
「ああ分かった、1時間やる」
 聡一郎は椅子から立ち上がった。
 でかい。身長は170センチほどだが、体重は120キロあるらしい。近くで見ると圧迫感というか、威圧感を感じる。肉の量といっても、格闘技で鍛えたとか、学生時代ラグビーやってましたといった肉ではなく、ただの贅肉だ。
 安田は、毎日のように彼を見ているのだが、朝、その日初めて彼の姿が目に入ると、いつも巨大な動物をイメージする。とはいっても、ゾウやキリンのようにかわいい印象は皆無。無理やりたとえるなら、実際に見たことはないが恐竜だ。どしどし音を立てて歩き、巨大で、臭くて、何をするかわからない。意思疎通が普通に行えないところが恐竜だ。生態も鳴き声も不明。ゾウも臭いかもしれないが、ゾウの臭さは動物園などで体験したことがあるので、イメージできる。恐竜は分からないことが多すぎる。その得体の知れなさが、聡一郎のイメージに重なる。
 身にまとっている衣類は、ウェーダー同様、ほとんどがオーダーメイドだという。この日も、イタリアの高級ブランドのジーンズと、上質なコットンのボタンダウンシャツを着ていた。イタリアからデザイナーを呼び寄せて作らせたらしい。何でも彼の家族は、年に何度か国内外から気に入ったデザイナーを呼び寄せ、主婦がもやしのパックだのニラだのをポンポンと買い物かごに入れるかのように、手当たり次第に服を注文するのだそうだ。
 もちろん、高級服だからといって、すべての人を素晴らしく飾るわけではない。しかも、体重120キロの人間が相手ならかなり難しい。聡一郎は、へその上あたりでジーンズのベルトを締めている。こうなるとなおのこと難しい。
 お抱えのデザイナーなら、恐竜に合うジーンズだって作れるのだろう。
 恐竜は、じゃない聡一郎は、「ではちょっと銀座に行って来ますね」と言って、どたどたと机の間を通り抜けようとして、隣の机の書類を引掛けて落とした。「あれれ」と素っ頓狂な声をあげて、書類をバサバサと重ね、再びどたどたと入り口ドアの向こうに消えた。
(銀座? 銀座に釣具店なんかあったかなあ)

 東京神田。大手出版社が持つ高層ビルの12階に、鈴木聡一郎が勤める釣り雑誌の編集部はある。雑誌名は「トラウト・マガジン」といい、川や湖にいるイワナやヤマメを、ルアーやフライという、つまりはエサではない疑似餌で狙う人たちのための雑誌だ。
 釣りという専門分野の中の、さらに狭い専門的な釣りを紹介する雑誌なので、発行部数は決して多くなく、同じ会社で出版する一般女性誌の20分の1にも満たない。
 安田は、2年前にこの雑誌の編集長に就任した。新入社員のころは文芸系の編集部に配属になったのだが、7年前に「トラウト・マガジン」に異動になり、副編集長を経て現在に至る。前任の編集長は、2年前にこの職場を去った。詳細は不明なのだが、風のうわさでは上層部の誰かの意に添わず、退職を余儀なくされたということらしい。
 酔うと、「安田、小さい編集部でも編集長はいいぞ。思い通りにできる」というのが前編集長の口癖だった。しかし、いざ編集長になってみると、編集局長だの営業部長だのクライアントだのの力が強く、雑誌の編集内容を自分の思い通りにすることなどできず、なんだよ話が違うじゃないかと、編集会議のたびに安田は思っている。
 同じフロアには、3つの編集部が同居しているが、「トラウト・マガジン」の占めるスペースは最も小さい。編集部員は5人で、聡一郎が最も若く経歴が短い。同じフロア内に、鈴木という姓の社員が他に2名いることから、聡一郎は下の名前で呼ばれている。
 聡一郎について安田が知っていることは少ない。見たとおり、太りすぎであること。性格はのんびりしていること。のんびりしているくせに落ち着きがなく、歩くと周囲のものにぶつかったり、何かを落としたりすることぐらいだ。あとそれから、好きなアイドルはAKBのタカミナで、好きな食べ物はカレーライスとハンバーグ、汗っかきで歩くのがいやで、地下鉄の出口から打ち合わせ場所までの100mをタクシーに乗ったことがあること、オタク体型のくせにゲームはやったことがなく、ウィニングイレブンをやるくらいならスペインまでサッカー観戦に行った方がいいと、よく分からない比較をして周囲を困らせていることなどだ。
(あれ? なんだ。俺、結構あいつのこと知っているじゃないか)

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